シラ・ブラックが他界、リンゴやポール、ジョージ・マーティンから弔意
ビートルズの友人でありブライアン・エプスタイン傘下で歌手デビューしたシラ・ブラックが8月2日、滞在していたスペインの別荘で亡くなりました。72歳でした。検死の結果、転倒して頭を打って意識不明となり、死因は脳卒中だったと伝えられています。
訃報に際し、ショービジネス界から実に多くの弔意が寄せらました。リンゴ・スターとバーバラ・バックは「シラは親友だった。寂しくなる」、ポール・マッカートニーは「本当にショックを受けている」「シラがキャバーン・クラブのクローク係だった頃に出会って以来、いつも周囲を楽しくさせる存在だった」などとその人柄を綴っています。ジャイルズ・マーティンが「父と家族を代表して」と哀悼の意を表したのに続き、近年あまり公の場に出ていないジョージ・マーティン自身も「予期せぬ訃報に、深い悲しみに襲われている。シラは驚くべき才能の持ち主だった」と声明を発表しました。
葬儀は8月20日、シラの故郷リバプールのウールトン地区にあるセント・メアリー教会で営まれました。周辺の通りは別れを惜しむ多くの人で埋め尽くされ、ポールの弟マイク・マッカートニーも参列しています。クリフ・リチャードはスピーチしたほか自身の曲「フェイスフル・ワン」を歌ってシラに捧げました。葬儀ではシラのナンバーワン・ヒット「エニワン・フー・ハド・ア・ハート」も演奏され、ビートルズの曲「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」が流れて終わりました。
http://www.cillablack.com/cpt_news/funeral-of-cilla-black-obe/
8月21日付の全英チャートでは、ベスト・アルバム『THE VERY BEST OF CILLA BLACK』(83年発表、2013年リマスター盤発売)が1位を獲得しました。
シラは1943年5月27日、プリシラ・ホワイトとしてリバプールに生まれました。芸名シラ・ブラックを名乗り、ブライアン・エプスタインのマネージメントとジョージ・マーティンのプロデュースにより、63年にレコード・デビュー。デビュー曲「ラヴ・オブ・ザ・ラヴド」のほか「イッツ・フォー・ユー」「ステップ・インサイド・ラヴ」の3曲をレノン=マッカートニーが提供しています。「ステップ・インサイド・ラヴ」は68年に放送が始まった彼女自身のテレビ番組『シラ』の主題歌でもありました。全英1位を獲得した「エニワン・フー・ハド・ア・ハート」と「ユーアー・マイ・ワールド」をはじめヒット曲を送り出し、「ザ・ライト・ザット・ハズ・ライテッド・ザ・ワールド」などもともとジョージ・ハリスンがシラのために書いた曲もあります。70年代以降、シラはテレビ・パーソナリティとして国民的人気を博します。デビュー50周年にあたる2013年には大英帝国勲章のOBE(第四位)を授与されました。
ドキュメンタリー『プロデューサー ジョージ・マーティン~ビートルズを完成させた男~』(2012年)にはシラもインタビューで出演し、バート・バカラックを迎えたレコーディングの映像が使われています。
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