シンシア・レノンが他界、ジュリアン・レノンが追悼のミュージック・ビデオを発表
ジョン・レノンの最初の妻だったシンシア・レノンが、4月1日にスペインのマヨルカ島にある自宅で亡くなりました。75歳でした。
ジュリアン・レノンは同日、自身の公式サイトに母シンシアの訃報を伝える特別ページを開設しました。そこにはシンシアが短期間ではあったが癌で闘病中だったこと、ジュリアンが最期を看取ったこと、今は家族のプライバシーを尊重してほしいことなどが記されています。
また、同ページではジュリアンがシンシアを追悼したミュージック・ビデオ「Cynthia Lennon - In Loving Memory」が公開されています。使用されている曲はジュリアンの最新アルバム『EVERYTHING CHANGES』に収録の「Beautiful」で、歌詞も掲載されています。
ジュリアンは自身のフェイスブック(4月2日付)を通じ、追悼してくれた人たちへのお礼の言葉を述べ、併せて「人生はもう以前と同じではない/これまでで最もつらい日々だ」と苦しい胸の内を明かしました。
一方、イースターの前日(4月5日付)にはフェイスブックに「イースターおめでとう」の挨拶を載せ、「試練の時こそユーモアのセンスを忘れてはならない。母もそう願っているはずだ。母が亡くなるまで、母とぼくはほとんど毎日笑っていた。時として、笑いだけが前に進んでいく原動力となる」と述べています。
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シンシア・レノン、旧姓シンシア・パウエルは1939年9月10日に母親の疎開先であるブラックプールで誕生し、リバプール対岸のホイレイクで育ちました。美術の教師になることを志してリバプール・カレッジ・オブ・アートに入学、レタリングの授業で一緒だったジョン・レノンと出会い、やがて交際を始めます。反抗的なロックンローラーだったジョンと真面目な優等生のシンシアという組み合わせは周囲を驚かせましたが、シンシアは音楽活動に情熱を傾けるジョンを支えていきます。
1962年夏、シンシアが息子ジュリアンを身ごもったことが判明すると、ジョンはすぐに結婚を決意し、8月23日にふたりは夫婦となります。ジュリアンは翌年4月8日に誕生しますが、ちょうどビートルズのデビュー前後の時期と重なっていたため、ジョンに妻子がいることはしばらくのあいだ秘密にされていました。まだ学生だった1950年代から、ビートルズが世界的な成功を収めた60年代まで、10年以上にわたって恋人として、そして妻として、ジョンの最も身近にいたのがシンシアでした。
1968年5月、ジョンはオノ・ヨーコとの本格的な交際を始めてシンシアとジュリアンのもとを去り、同年11月8日に離婚が成立します。この時期、意気消沈していたジュリアンを励ますためにポール・マッカートニーが作った曲が「ヘイ・ジュード」でした。離婚の慰謝料はなく、その後シンシアは生活のためにさまざまなビジネスを試みますが、暮らしは決して楽ではありませんでした。1974年、「失われた週末」を過ごしていたジョンと再会したときが、ふたりが対面した最後となりました。
1978年、ジョンと過ごした日々の思い出を綴った『素顔のジョン・レノン』を出版。2005年にはジョン他界後の出来事を含めたさらに詳細な回想録『ジョン・レノンに恋して』を出し、ジョンの生涯や作品を論じるうえでの新たな(そしてとても重要な)視点を提供しました。2010年にはリバプールで開かれたジョンの生誕70年を祝う式典にジュリアンと共に出席し、記念モニュメントの除幕を行なっています。
私生活では1970年にイタリア人ロベルト・バッサニーニと結婚(73年離婚)、76年に英国人ジョン・ツイストと結婚(1981年ごろ別居、83年離婚)。その後リバプール出身のジム・クリスティーとのパートナーシップ(1982~99年)を経て、2002年にバルバドス出身のノエル・チャールズと結婚。2013年、最後の夫となったノエルに先立たれていました。
『リバプール・エコー』電子版(4月1日付)の追悼記事では、2010年の除幕式でシンシアがスピーチをしたときの映像などを見ることができます。
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